『チョコレートドーナツ』や『キャロル』を観ると
同性愛者というより、人類愛かなにかなのではないかと思う。
そんな中でも様々に愛する人への捉え方がある。
たまに一つの言葉でくくってもよいものかと考える。
例えばAIに支配された未来がきたるとして、
故郷に似せた何かが与えられると聞き、思いを巡らせ頬を染めた埼玉県民が
ひたすら土と東上線とまが玉を渡されてもピンとこないのである。
おいしそうにうどんを食べてる香川県の隣で
AIの端子という端子をへし折るしかないのである。
なにかの愛し方は様々で人にもAIにも一色たには出来ないものと思ふ。
2018年某日。